中国の深圳で10歳男児が殺害された事件後、友好商社に勤める男児の父親が会社の上司に宛てたとされる手紙が明らかになりました。
そこで、男児の父親が勤務する会社、友好商社n社はどこで、すでに社名が公表されているのか、また、父親が書いた文書についても見ていきましょう。
深圳男児父親が勤務する友好商社は60年以上の実績
深圳で被害にあった男児の父親の会社はどこでしょう。一部の台湾メディアでは社名がすでに公表されているといいます。
ただ、日本では社名は伏せられていますが、その会社について、報道されている内容からいくつかヒントがありました。
- 1961年に創業
- かつては友好商社と称されていた
- 大阪市内に本社がある
- 貿易株式会社
大阪市内に本社がある貿易株式会社は下記のとおり19社ありました。
- 加藤運輸株式会社 1920年設立
- 菱沼貿易株式会社 2009年設立
- 西日本貿易株式会社 1961年設立
- 渡辺貿易株式会社 1976年設立
- 東洋貿易株式会社 1988年設立
- 大阪国際貿易株式会社 2021年設立
- 細田貿易株式会社 1918年設立
- 交洋貿易株式会社 1947年設立
- 南星貿易株式会社 1952年設立
- シティ貿易株式会社 1983年設立
- 昭和貿易株式会社 1877年設立
- 世新貿易株式会社 2015年設立
- 株式会社国際貿易関西 1996年設立
- アジア貿易株式会社 2005年設立
- 一丸貿易株式会社 1959年設立
- 誠和貿易株式会社 1979年設立
- ファスコ貿易株式会社 1976年設立
- 日中貿易株式会社 2003年設立
- セイコー貿易株式会社 1958年設立
会社設立年が1961年なのは西日本貿易株式会社だけでした。西日本貿易株式会社のホームページを見ると、トップ画面に『「西日本貿易の歴史は日中貿易の歴史」です。』とありました。
「西日本貿易の歴史は日中貿易の歴史」です。
弊社は、1961年商都大阪において、中国から取引相手としてふさわしいとの認定を受け、当時としては稀な友好商社として設立されました。
以来60年以上、専門に中国との貿易に従事し、現在取引範囲は、各種産業機械・機械部品・電子デバイス材料及び部品・液晶、半導体検査装置・電力用機器・化成品などの輸出、及び鉱産品・製缶品・機械・各種プラント設備・フォークリフト用部品、リチウムイオン電池・電子デバイス材料・産業資材の輸入と幅広い分野に広がっています。
また、会社機構図をみると、海外子会社の中に「恵和(広州)有限公司 分公司」とあり、さらにその中に「深圳分公司」があります。
深圳分公司の住所は「深圳市福田区福華三路100号鼎和大厦19F B26」となっています。
Xでも西日本貿易㈱は友好商社と紹介
中華人民共和国駐大阪総領事館のXに薛剣総領事と西日本貿易株式会社の小野実会長、市塚毅社長が映った写真が掲載されていました。
12月14日、薛剣総領事は創業60年の「友好商社」西日本貿易株式会社の小野実会長、市塚毅社長と会見し、中日経済関係と友好協力をめぐり、意見を交換した。
12月14日、薛剣総領事は創業60年の「友好商社」西日本貿易株式会社の小野実会長、市塚毅社長と会見し、中日経済関係と友好協力をめぐり、意見を交換した。 pic.twitter.com/QV5OvIbswa
— 中華人民共和国駐大阪総領事館 (@ChnConsul_osaka) December 15, 2021
父親が友好商社の上司に宛てた手紙は真実か
男児が亡くなって48時間以内に出された中国語の文書は男児の父親が書いたものだとされています。
この文書は父親が会社の上司に宛てたものですが、この文書の内容をめぐって、中国寄りに加筆されたものとされる意見と父親の原文だとする意見があります。
- 前日の外交部記者会見と内容が一致している
- 通常の商業活動よりも日中交流を重視しているような内容
- 中国語で書かれた高い文章力
- 中国政府寄りの論調が特徴的な香港の新聞『星島日報』が報じている
- 友好商社に勤める父なら日中の架け橋となる考え方は自然
- 中国に留学経験のある父なら高い中国語力を有していてもおかしくない
- 日本国駐広州総領事館に文書の真偽を確認したが否定も肯定もしていない
- 中国当局はこの文書が自国内のネットで広がる現象をブロックしている
文書の出所は父親本人の可能性が高いとする情報がほとんどといいます。しかしながら、父親が書いたとされる手紙が本物か否かは明らかになっていません。分かりしだい追記していきます。
中国外交部の記者会見
中国外交部の林剣報道官は19日の定例記者会見で、「今回は個別の事件だ。類似の事件はどの国でも起こりうる。」「個別の事件によって中日両国の交流と協力に影響が及ぼすことはないと信じる」と述べていました。
文春オンラインで掲載された手紙
手紙の要約
- 被害男児は母が中国人、父は日本人であるルーツを持ち、日本語も中国語も流暢に話せる
- 母も父も日本と中国の両国で長年過ごしたことがある
- 私は息子を守れなかったことに悔恨の念がある
- 私たちは中国も日本も恨むことはできない。両国とも自分たちの国家である。
- 犯罪を理由に、日中両国の関係が破壊されるのは望まないし、悲劇が再び起こらないことを望む
- 私の主な職務は(中国と日本)の認識の差異を埋め、円滑なコミュニケーションを促進すること
- 私にできることは息子が誇りに思ってくれるような人物になること、日中両国の相互理解のために貢献し続けることで、それが息子に対する贖罪であり、犯人に対する報復
- 最も大事なことは、私が息子に感謝の気持ちを示したいということ。私たちは息子の分まで最後まで生き、歩んでいく
手紙全文
文春オンラインで掲載され手紙の日本語文章は以下のとおりです。原文では実名で記されていた被害男児と父親、さらにその2人の上司と名前が一致する人物も確認されています。
R様 F様(注、原文は苗字実名)
昨日は遅くまでお付き添いいただきありがとうございました。
総領事館とわが社の意見については、あなた(R氏?)が決めていただく形でよいかと思います。ただ、私は自分の気持ちをご理解いただきたく思い、このメールを書かせていただきました。
自分の気持ちを落ち着かせるために書いたところも多く、充分に書ききれていないところもあるかと存じますが、ご寛恕いただけますと幸甚です。(この文章を)転送するか、また誰に送るかについては、お任せいたしたく存じます。
K(被害児童)は昆虫と爬虫類が大好きで、独特の眼がきき、どんな小動物でも見つけてしまう子どもでした。誰よりも優しい心を持っていたのです。
小さな頃から絵を描くことが好きで、語学の面では天性の能力のある子、日本語も中国語も流暢にこなせました。彼は(かつて)私が深圳に駐在することになった際にずっとためらい続けていました。
好き嫌いがあり、当初はなかなか中国の食べ物に慣れませんでしたが、最近はどんどん中国の食べ物で好物が増え、はじめたばかりのバスケットボールにも夢中になっていました。
息子がこのようにして突然私たちのもとからいなくなるとは、想像だにしないことでした、いま、私は限りなく、戸惑いと尽きせぬ心の痛みを抱えています。
私はもはや、息子がどう成長し、どんな大人になるのか、その姿を見ることはできない。彼を守ることができなかったことは、今後の自分の一生にわたり消せ得ない悔恨の情として残るでしょう。
Kは日本人であるとともに中国人でもありました。彼の母親は、かつて日本で十年近くを暮らした中国人です。いっぽうで父親は、もはや中国に渡ってからの時間が人生の半分に及ぼうかという日本人です。
Kは3歳になるまでほとんど中国側の妻の実家で育ちました。外部がどのように報道するかはともかく、息子が日本と中国のふたつの国にルーツを持っていたことは変えようがありません。
私たちは中国を恨むわけにはいきません。同じく、日本を恨むわけにもいきません。国籍がどのようになっているかはともかく、私たちはこのふたつの国家を自分の国家だと思ってきました。
社会風俗や文化に違いはあれど、しかし、みんなすべて同じ人間なんだ、ということは私たちが誰よりもよく知っています。
なので、私は、ごく少数のゆがんだ思想を持つ卑怯な人物の犯罪を理由に、日中両国の関係が破壊されることを望みません。私の唯一の望みは、このような悲劇が再び起こらないことです。
Kはかつて私に「将来はお父さんと同じような人になりたい」と語ったことがありました。あれはもしかしたら、ひとときの思いつきで言い出したことに過ぎなかったのかもしれませんが、しかし父親として、あの言葉はなによりも喜ばしいものでした。
私は中日貿易の仕事に従事し、日本と中国の架け橋の役割を担ってきました。私の主たる職務は(中国と日本の)双方の認識の差異を埋め、円滑なコミュニケーションを促進することにあります。
もしも今回の不幸な事件が起きていなければ、私は息子が必ずや、私よりもずっと世間の約に立つ人間になっていたと信じています。
しかしいま、私にできることは、全力を尽くして息子が誇りに思ってくれるような人物になり、さらに日中両国の相互理解のために微力ながらも貢献し続けるより他はありません。
これが私の愛するわが子に対する贖罪であり、また犯人に対する報復でもあります。最も大事なことは、私がKに感謝の気持ちを示したいということ。
彼が私たちを彼の両親としていさせてくれたことに感謝し、彼が私たちのそばで10年8ヶ月と7日間の時間を過ごしてくれたことに感謝します。
私たちはこれから粘り強く生きてゆき、彼のために、彼が歩みきれなかった道を最後まで歩もうと思います。
K・J(注 原文は名字実名)
引用:文春オンライン
友好商社の魅力とは
友好商社は、1958年の長崎国旗事件後に日中貿易が中断した際、1960年に貿易を再開するために中国側が指定した日本の貿易会社です。この指定により、特定の日本企業が中国との貿易を行うことが許可されました。
友好商社のメリット
- 信頼性の確保: 中国政府から指定されたことで、信頼性が高く、安定した取引が可能となります。
- 貿易の円滑化: 友好商社を通じた取引は、手続きが簡略化され、スムーズに進行します。
- 市場アクセス: 中国市場へのアクセスが容易になり、ビジネスチャンスが広がります。
- リスクの軽減: 政治的・経済的リスクが軽減され、安定した取引環境が提供されます。
友好商社の代表的企業
友好商社として代表的な企業は以下のとおりです。
双日
双日株式会社は日本の大手総合商社の一つで、2004年に日商岩井株式会社と日綿實業株式会社が合併して設立されました。
日綿實業は昭和35(1960)年、日本の大手商社として初めて友好商社に指定され、その後日中国交回復後初の大型プラント(テレビIC製造プラント)を受注しています。
双日は、世界中で多岐にわたる事業を展開しており、エネルギー、金属、化学品、食料、消費財、産業機械、インフラなど、さまざまな分野で活動しています。
伊藤忠商事
伊藤忠は日本の大手総合商社のひとつで1858年に創業しています。また、1972年に総合商社で初めて、中国から友好商社に指定され、対中国貿易を展開しています。
伊藤忠は現在、世界中で多岐にわたる事業を展開しており、繊維、機械、エネルギー、金属、化学品、食料、住生活、情報、金融など、さまざまな分野で活動しています。
被害男児父親の会社「友好商社」を特定し追記します。
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