兵庫県の斉藤元彦知事は県職員へのパワハラ疑惑などで現在、注目されています。
そこで、今回は斉藤元彦兵庫県知事の家族、祖父母や両親、兄弟、妻、子どもについてご紹介します。
斉藤元彦の祖父は大澤信剛・ケミカルシューズを製造
斎藤元彦知事の母方の祖父は、日本ケミカルシューズ工業組合の理事長だった大澤伸剛(おおさわのぶたか)さんです。神戸市長田区と須磨区でケミカルシューズ製造業を営んでいました。
ケミカルシューズの生産のピークは、1990年頃です。バブル経済の最中で、生産額のピークを迎えています。
ケミカルシューズは、1991年のバブル崩壊でかなりの打撃をうけました。さらに、1995年の阪神・淡路大震災では壊滅的な被害で操業不能に陥るメーカーがほとんどでした。
そのため、長田区と須磨区の会社も危機的状況に陥っていたことがうかがえます。現在、この会社はありません。
ケミカルシューズと神戸の歴史
神戸市ホームページによると、ケミカルシューズと神戸の歴史は以下のとおりです。
1868年の開港以降、神戸では生ゴムの輸入と共にゴム工業が盛んに行われました。
大正時代にはゴム靴の製造が始まり順調に発展してきましたが、1945年頃からゴムの配給を受けられなくなった中小メーカーは様々な材料で靴を作るようになりました。
その中で、1952年頃誕生したのが、塩化ビニール等の合成樹脂を使用したケミカルシューズです。
その後、素材の開発や製法技術の改善、デザインの向上等により、神戸のケミカルシューズ産業は今日に至るまで大きく発展してきました。
昔は、神戸にたくさんのケミカルシューズの会社があったことが考えられます。しかし、現在はケミカルシューズという概念もなくなりつつあります。
祖父が会社経営の厳しさを教えてくれ政治家へ
斎藤元彦知事は、祖父の会社経営をそばで見て育ち、会社経営の厳しさや大変さについて祖父からよく聞いていました。
祖父らの話を聞いて斎藤氏は、「地場産業を大切にしたい」と思い、政治家を志したといいます。
馴染みのある板宿
斉藤康英知事は神戸市板宿が自身のルーツの一つだと言っています。ご飯を食べたり買い物に連れていかれたりと、小さいころから板宿商店街にはお世話になったと自身のXで投稿しています。
また、「須磨区は、消滅可能性都市と揶揄されることもまだあるそうです。そんなイメージ、吹っ飛ばします。」と言っていました。
神戸市須磨区の板宿は私のルーツの一つ。祖父が営んだケミカルシューズの工場が、そこにはありました。
ご飯を食べたり買い物に連れていかれたりと、小さいころから板宿商店街にはお世話になりました。須磨区は、消滅可能性都市と揶揄されることもまだあるそうです。そんなイメージ、吹っ飛ばします。 pic.twitter.com/QZIk7oKhDL
— 兵庫県知事 さいとう元彦 (@motohikosaitoH) May 2, 2021
- 住所:神戸市須磨区飛松町3-5-5 板宿本通商店街振興会館
- 最寄駅:山陽・神戸市営地下鉄板宿駅
- 見どころ:JR・山陽板宿駅から北側に抜ける商店街。商店街のキャラクターのいたやどかりが地元の子どもたちに大人気。
座右の銘「雲中雲を見ず」は祖父からの言葉
斉藤元康知事の座右の銘は「雲中雲を見ず」、祖父から伝えられました。
- 読み:うんちゅうくもをみず
- 意味:目先の些細なことにとらわれ、物事の本質に気づかないこと
斉藤知事は『雲中雲を見ず』を胸に刻み、「大きな権力を持つ知事はともすれば県民の皆さんと乖離することもありうる
自分をしっかり省みてやっていく」と言っています。
斉藤元彦の名は母方祖母・秀子が命名
斎藤元彦氏の母方祖母の名前は秀子さんと言います。斉藤元彦の『元彦』という名は、斉藤知事の母方の祖母である秀子さんが兵庫県知事を務めたことがある金井元彦さんの名前をとって命名しました。
祖父が命名としたと間違って報道されているので、斉藤氏は自らのXで祖母と太字にして強調しています。
私の「元彦」は金井元彦知事から取って命名されたと伺っております。
母方の祖母がつけてくれました。
先人に限りない感謝を捧げつつ、負けじと県政発展を目指し頑張って参ります! https://t.co/mNrOKusEuY— 兵庫県知事 さいとう元彦 (@motohikosaitoH) June 4, 2021
- 金井元彦(かない もとひこ)
- 生年月日:1903年11月28日
- 出生地:兵庫県神戸市
- 出身校:東京帝国大学法科卒業
- 経歴:第43代行政管理庁長官(1978年12月~1979年11月、参議院議員(1971年6月~1979年11月)、第36代・第37代兵庫県知事(1962年11月~1970年11月)、第45代青森県知事(1945年4月~1946年1月)
斉藤元彦の父も家業を継いでいた
斎藤元彦さんの父親の詳細は明かされていません。斎藤元彦さんは、1977年生まれの46歳です。そのため、斎藤さんの父親は、70代くらいではないかと推測できます。
斎藤元彦知事の祖父は、須磨区の板宿でケミカルシューズの製造業を営んでいました。そのため、斎藤氏の父もまた、その家業を継ぎ、長田区でも開業していたと考えられます。
斉藤元彦の母は美人
斎藤元彦の母親の詳細は明かされていません。しかし、上記の方が母親だと言われています。斎藤氏の父親と同じ、70代前後だと見られます。
斉藤元彦の兄弟
斉藤元彦氏の兄弟については明らかになっていません。しかし、一人っ子、兄弟がいるなど様々なことが言われています。
上記の写真には子どもが複数映っているから兄弟がいるのではと言われています。しかし、親戚や近所の子どもとも考えられるので兄弟とは現時点では断言できません。
斉藤元彦の妻はパリ生まれの帰国子女!知事選もサポート
斉藤元彦氏の妻の名前は公表されていませんが、ある県庁関係者が斉藤氏の妻について、次のように言っていました。
「三井物産勤務後に新日本空調の社長をつとめた人物のお嬢さん。父が商社員時代、パリに駐在していた頃に生まれた帰国子女です」
週刊文春
斎藤氏の妻はパリで生まれた帰国子女で、新日本空調の社長を務めたことのある人物の娘とあります。経歴などから見て、斉藤氏の妻の父は新日本空調元社長の岡本隆弘さんではないかと言われています。
岡本氏は、2008年に新日本空調の社長に就任し、環境・省エネ事業の推進に力を入れていました。
斎藤氏の妻の経歴は以下のとおりです。
- 慶応大学卒業
- 慶応大学在学中にはラクロス部に所属
- 慶応大学卒業後は現在の三菱UFJ銀行に勤務していたが、08年に退社
斎藤氏の妻は文武両道の才女だったことが分かります。
斉藤元彦氏の妻はこちらの赤丸で囲んだショートカットの女性ではないかといわれています。
斉藤元彦さんが知事選挙で当選確実になった時の写真です。斉藤氏が花束を受け取り、隣の女性も花束を受け取っています。マスクもしておりあまりよく顔が分かりませんが妻である可能性は高いです。
その後、週刊文春で斎藤元彦氏と妻の写真が掲載されていました。やはり、マスクをして花束を持った女性が斎藤氏の妻でした。
斎藤元彦氏の妻は息子を連れて出ていったなど斉藤氏の妻が自宅にいないのではないかという噂がされていますが、9月18日の週刊文春で自宅前で斎藤氏の妻を直撃取材されていることから、今も斎藤氏の妻は自宅にいると考えられます。
斎藤氏の妻が斎藤氏の辞任を引き留めていると県関係者が言っていました。
「側近が去って以降、斎藤氏が相談できるのは弁護士と奥さんだけになった。奥さんは『非を認めることになるから、辞めてはだめ』と、斎藤氏の辞任を引き留めています」(県関係者)
週刊文春
週刊文春が斉藤氏の妻にその事実を確かめると「言った、言わないになるので」と返答していました。
斎藤元彦氏が辞任しない理由は、斉藤氏の妻が引き留めているからなのでしょうか。実際のところは分かっていません。
斉藤元彦の子どもは息子で現在、小学生
斉藤元彦さんに子ども(息子)がいることが斉藤氏自身のXで明らかにしています。
Xで「こちらこそ、お暑い中ありがとうございました。素敵な写真ですね。私にもお子さまと年の近い息子がいます。当事者世代として、未来を担うこどもたちのための政策を兵庫県でどんどん進めていきます。」
写真に写っている子どもの年齢は3歳くらいの子どもでしょうか。2021年時点で3歳とすると2024年現在では、小学生くらいの息子がいることになります。
他にも斉藤知事自身のXでは選挙運動中、息子の話を度々しています。
行く先々でたくさんの方々と出会えます。宝塚市では風早ひさお県議に加わっていただき、個人演説会を開催しました。特に話に出た、こどもたちにとっての魅力ある保育教育環境づくりは急務。私も同世代の息子がいて、我が事のように課題視しています。早々に動きます。8月から、すぐに。#兵庫県知事選 pic.twitter.com/qoMbZcVqRY
— 兵庫県知事 さいとう元彦 (@motohikosaitoH) July 12, 2021
特に話に出た、こどもたちにとっての魅力ある保育教育環境づくりは急務。私も同世代の息子がいて、我が事のように課題視しています。早々に動きます。8月から、すぐに。
私も息子のことを思い出しながら活動できました。こどもたちの未来のために、頑張ってまいります。
もう顔も体も日焼けして、夏休み明けの息子と同じ様子になりました。今日も一日暑くなりそうです。お気をつけください。
知事選では、斉藤元彦さん自身に息子がいるを何度も強調して言い、子育て政策重視を猛アピールされていました。
子どもの人数は明らかではないですが、一人だとうかがえます。2021年の兵庫県知事選のプロフィールには、休日の過ごし方に「子供と遊ぶ」とありました。
そのため、休日は子どもと一緒に遊び、よきパパをしていたことがうかがえます。
斉藤元彦の実家は裕福だった
斉藤知事の実家の家業はケミカルシューズ製造業で、ケミカルシューズの生産のピークは、1990年頃です。バブル経済の最中で、生産額のピークを迎えています。
そのため、当時斎藤元彦さんの実家は裕福だったのではないでしょうか。
1990年に斎藤さんは愛媛の中高一貫教育で偏差値75、愛媛県で1位、全国でも9位の成績を誇る有名私立愛光学園に入学しています。
愛光学園は入学時に30万円、年間の学費などが60万円かかります。それに加え、斎藤氏は寮生活をしており、生活費などの諸経費を合わせると、なかなかの金額です。
実家は裕福で、息子の教育に熱心であったと推察できます。
斎藤元彦は知事選前から親戚と絶縁状態になっていた
斎藤元彦知事は4年前から親戚と絶縁状態になっているといいます。
デイリー新潮によると、斎藤知事の親戚は斎藤知事について以下のとおり言っています。
- 知事選(2021年7月)の1年前からお付き合いをしていない
- 寝耳に水のようなことがあり、もう一切お付き合いをしていない
- 近所にも知り合いにも親戚であることを伏せている
- トラブルは斉藤知事と斎藤知事両親の両方
- 斎藤知事が変わったのは、官僚時代で社会人になってから
- 大きなスキャンダルを起こして、一生関わりたくない
- 知事を辞任すべきだと思っている
斎藤知事一家と親族との間で何かしらのトラブルがあり今は連絡をとっていないことが分かります。そして、官僚になってから斎藤知事が変わったとも言っています。
斎藤知事はプライベートなところでも、高圧的な態度でトラブルに至ったのでしょうか。
寝耳に水なことは母方祖父宅を勝手に競売にかけたことか
週刊文春によると、2021年の兵庫県知事選のあった頃、親族間で相続の話で揉めていたとあります。そして、後援会関係者による以下の発言より、親戚と絶縁関係になった経緯が明らかになりました。
「選挙資金の捻出のため、斎藤の母親が、実家のお屋敷を親族の同意なく不動産競売にかけたんです。母方の祖父は日本ケミカルシューズ工業組合の理事長だった大澤伸剛氏。斎藤にとっては大恩ある祖父で、選挙戦中から『私が政治を志す原点になった』と公言しています。そんな大好きなおじいちゃんのお屋敷を平気で『取り壊してマンションにして選挙資金を作れ』と言った。当然親族間で大揉めに揉めて、斎藤家は大澤家から絶縁されたそうです。『道義的責任』が理解できないのも無理からぬ話です」
週刊文春
選挙資金のために、斎藤元彦氏本人や斉藤氏の母が祖父宅を勝手に競売にかけたことで親族間で揉めて絶縁状態になったとあります。
勝手に祖父宅を競売にかけたことが事実なら親族が怒るのも無理ないでしょう。そして、斎藤氏の実家からも選挙資金も用意できず、自民党兵庫県連から2000万円貸付してもらった経緯もあります。
選挙資金を捻出するため、斉藤氏がとった行動に執念の凄さを感じます。
コメント